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​兵庫県高砂市高砂町

江戸時代の町割り

​町屋、社寺、明治から昭和の建築物が建ちならぶ

北前船も寄港した港町

「松右衛門帆」で現代に名を遺す工楽松右衛門​

書籍:帆神 玉岡かおる著

玉岡かおる著 
「帆神」~北前船を馳せた男 工楽松右衛門~

2022.04  第41回新田次郎文学賞 受賞

​2022.11  第16回船橋聖一文学賞 受賞

​豪胆な船乗りで、時代を先取りする海商。

そして北前船の帆の改良で、​江戸時代に革命をもたらした快男児。

そんな彼を慈しみ育んだ、​四人の女たち___。

帆神 玉岡かおるサイン会:
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  建物の復元について  

工楽松右衛門 旧宅の土地・建物は平成28年1月に工楽家から高砂市に寄贈されました。200年近い経年による傷みは相当なもので、可能な限り当初の建築様式に復元するには1年4か月の時間を要しました。波打つように仕上げられた白い漆喰の軒裏、屋根には煙出しの「越屋根」、趣のある「舟板塀」、今では見られなくなった「ばったり床几(しょうぎ)」や「しとみ戸」など、見どころのある特徴が復元されました。

舟板塀:火から家を守るという意味も込めて古い舟板を再利用した塀

古い舟板を再利用した「舟板塀」

工楽家旧宅の玄関横ばったり床几としとみ戸

「ばったり床几」と「しとみ戸」

奥におくどさん、手前に建設当時から残る古井戸がある

「古井戸」と「おくどさん」

工楽松右衛門の旧宅が改修され公開されました。

初代工楽松右衛門は1743年に高砂町東宮町に生まれました。若くして今の神戸市に出て船乗りになり、御影屋を名乗って海運業で成功を収めました。その後、帆布(船の帆)に大改良を加えて船の性能を飛躍的に高め、「松右衛門帆」としてその名を残しました。

司馬遼太郎の歴史小説「菜の花の沖」にも登場する松右衛門は、その後も幕府や藩に乞われて全国の港の改修に力を注ぎました。

・工楽松右衛門と工楽家

高砂神社の工楽松右衛門像

北前船寄港地:江戸、遠江川崎、大阪、兵庫、高砂、鞆の津、宇和嶋、小倉、箱根

2代目松右衛門以降も、地元高砂の港を改修し新田を開発するなど、初代の遺志を継いで事業を行いました。

松右衛門が関わった日本各地の港

初代松右衛門は択捉島の港の難工事を成し遂げた功績により、幕府から「工楽」の姓を与えられ帯刀が許されました。彼が工夫、発明した数々の工事専用船でその後も箱館や鞆の津を始め、全国各地の港を改修しました。​

初代工楽松右衛門の発明船:杭打船図(大蔵永常 農具便利論より)

・工夫を楽しむ松右衛門

松右衛門が発明した工事船「杭打船」

(大蔵永常 農具便利論より)

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